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クロノマット エアボーン

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クロノマット エアボーン

ファーストモデルに捧げる、30周年を記念した特別なクロノマット
クロノマットの原点 想像してほしい。1980年代初頭、イタリア空軍基地でパイロット達の離発着を熱心に眺める男の姿を。ウイリー・ブライトリングからブライトリングを託された彼に名前はアーネスト・シュナイダー。彼はアクロバット飛行チーム「フレッチェ・トリコローリ」の公式クロノグラフの公募を知り、すぐさまイタリアへ飛んだのだった。当時はクオーツ時計が全盛でスイス機械式時計は存亡の危機にあった。ブライトリングが創り続けてきた機械式クロノグラフの伝統を守りぬくにはパイロット達に会い、具体的な要望を聞きそれらを開発の原点に全く新しい機械式パイロットクロノグラフを完成させた。

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自らもパイロットであるアーネストは、何度もイタリアを訪れ、世界最高峰のパイロット達と視認性、操作性、耐久性について詳細な会話を交わしていった。グローブをはめたまま操作できる回転ベゼル、経過時間ものの残り時間も計測可能にするため15分と45分のタブをネジで取り外せ、位置を交換できるように設計されたライダータブ、光の強い高高度での視認性を確保する無反射コーティングを施したサファイアクリスタルの採用。そのほか、インデックス、ケースの裏蓋などディティールの違う100本のプロトタイプが制作され、テストされた。そして1893年、ついに究極の機械式パイロット・クロノグラフとして現在のクロノマットファーストモデルが完成。「フレッチェトリコローリ」公式クロノグラフに採用された。プロフェッショナルが求めるすべてを装備した計器を創る。その情熱は、歴代クロノマットをはじめ、すべてのモデルの開発思想へと受け継がれいまなおブライトリングを進化させ続けている。

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妥協を許さない2つの100% パイロットが腕に装備する計器は、航空界と同じ厳しい品質基準で創られるべきである。ブライトリングは、全モデルの設計段階において衝撃、落下、耐Gなどの1000回を超える製品試験を行い、品質を追求し続けている。その時計づくりを象徴するのが2つの100%。第一は全製品100%クロノメーター。クオrノメーターとは、スイス公認クロノメーター協会が実施する厳しい精度試験に合格したムーブメントの証。ブライトリングは、機械式、クオーツ式に関わらず。全製品100%クロノメータを実現している主要ブランドとして世界唯一の存在である。第二は100%Made inn Switzertlandブライトリングの製品は、ムーブメントはもちろんケース、ダイアル、針、リューズ、プッシュボタンなど、スイス国内で製造されたパーツを用いてスイスで組み立てられる。スイス伝統ある時計文化を尊重するうえでもブライトリングは、スイス政府が定めた"SWISS MADE"の規定よりも さらに厳しい100%Made in Switzrland を実現している。
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自社開発ムーブメント5年保証
プロフェッショナルのための計器にとって理想的なエンジンとは、その答えとして、ブライトリングは 設計から製造までを一貫して自社開発ムーブメントを代表モデルに搭載している。その中心的な存在が「キャリバー01」24時間調整可能とした革新的カレンダー機構、安定したトルクを実現した70時間パワーリザーブなど自社設計、自社製造でしかなし得ない性能を備えている。なお自社製ムーブメント搭載モデルは、高品質なムーブメントの証として5年間保証である。

クロノマット エアボーン

キャリバー/ムーブメント  ブライトリング01/自動巻き
振動数       28800回/時
石数       47石
ケース              ステンレススチール
防水性能      300m
直径        41mm
品番 A004B26MBD
価格 ¥855,000(税別)

クロノマットの無謀
1884年創業したブライトリングは今年で130周年を迎えた。そのアニバーサリーイヤーにちなんだ連載企画として、ブライトリングの主要コレクションの誕生ストーリーと時代背景を振り返りながら、130年の歴史を追ってみた。その第一回目として1984年に誕生したブライトリングのフラッグシップモデル「クロノマット」にスポットを当てた。

クロノマットが誕生した今から30年前の1984年は、折しもブライトリングが創業100周年を迎えた記念すべきの年だった。世界に先駆けた腕時計型クロノグラフの開発や航空用回転計算尺を搭載した名作ナビタイマーの誕生など、パイロットクロノグラフの名門として輝かしい歴史を築いてきたブライトリングの創業100周年は、本来、世界中から賛美と祝福を浴びながら迎えるはずだったのだろう。とくにブランド中興の祖ともいえる創業家3代目ウイリー・ブライトリングが経営を担った約半世紀はまさに黄金期。」革新的なクロノグラフの開発だけに留まらず、彼の手腕と行動力によって航空界と密接な関係を築き上げ、航空時計の盟主としての地位は不動となっていた。が、ウイリーの晩年、時代は大きくうねり、スイス時計産業を取り巻く環境は激変する。クオーツショックに後継難が重なり、1970年代後半のブライトリングは100周年記念どころがブランドの存続さえ危ぶまれる状況だったことは想像に難くない。こうして迎えようとしていたブライトリングの100周年、つまり1984年は、同時にブライトリング現会長アーネストシュナイダーがウイリーから、ブライトリングの事業を受け継いで5年目となる年だった。エレクトロニクスの専門家だったアーネストは実家の時計会社を持前の最先端技術で盛り上げ、大手の一角にまで躍進させていた時代だった。その会社をたたみ、全財産をかけてブライトリングの復興に取り組んだ彼の行動は、冷静に考えれば無謀だったに違いない。しかも彼がブライトリング復活計画の中核に据えたのが新たな自動巻きクロノグラフの開発だった。クオーツ全盛の環境が好転していたわけではない。むしろクオーツは技術革新による最新トレンドではなく、完璧に定着した当たり前の存在にまでなり、機械式時計のほうが一部の酔狂な趣味人の好物になりつつある状況だった。完全な価値観の転換が起きていた。そんな時代の流れのなかで、自動巻きクロノグラフにブランドの未来をかけたのだから、やはり無謀ちいうしかなかった。彼が自動巻きクロノグラフにこだわった理由は「ウイリーとの約束」と後に明かしているが、それだけでなくクオーツに対する彼の心の変化も見逃すことができない事実だった。以前、アーネストへのインタビューで彼はこう語っていた。「クオーツの技術革新は日進月歩で進み、生産効率の向上と共に価格も大幅にダウンしました。それ自体、悪いことではありませんが安いクオーツが出回り始めてから、人々の時計に対するメンタリティもダウンしました。私は長年、時計は大切に使うものとして考えていましたが、安いクオーツが出回ると着けたまま寝たり、シャワーを浴びたりする。これは少しおかしいと思い始めました。ブライトリングの継承を決心したとき、同時に、時計を大切に使う気持ちを取り戻すためにも、時計職人が丹念にに作り上げる高級機械式時計でなかればだめだ。と思うようになったのです。」その後、彼はスイス国内の奔走し、クロノグラフを扱える腕のいい時計職人を探しては、意気消沈していた彼らに機械式時計復活の可能性を語って説き伏せ、自動巻きクロノグラフの開発体制を整えていった。今でこそ全盛を極める自動巻きクロノグラフの名機”バルジュー7750”も、彼の執念がなければ、つまりブライトリングが新型自動巻きクロノグラフのムーブメントとして採用しなければ、歴史の闇に埋もれたオールドムーブメントになっていたといわれる。一方、デザインおよび細部の設計に関しては、多くの読者がご存知のとおり、イタリア空軍のアクロバット飛行チーム”フレッチェトリコローリ”の共同開発をい選択。やはり「ウイリーとの約束」を守り、直後、パイロットウオッチのニーズを反映させ機能美に溢れた情熱的なフォルムを完成させている。こうして未だ機械式への逆風が吹く中、1984年のバーゼルで発表したモデルが”クロノマット”だったこのひとつのタイムピースが機械式時計を愛するマジョリティを歓喜させ、その情熱が世界中に伝播し、機械式時計復活の引き金になっていったことはもはや疑う余地はない。それは、これ以上ないブライトリング創業100周年の祝福でもあった。

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