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時計屋のひとりごと 第8回

2012年05月23日(水) | コメントできません

王妃マリー・アントワネットとブレゲとブレゲNO.160(マリー・アントワネット)

ブレゲNO.160(マリー・アントワネット傑作時計)は1783年に王妃の警備官を通じて発注された。
注文の内容は「最高の時計」。あらゆる複雑機能と最新のデザインを要求し、そのかわり代金は
いくらでもかまわないず、また納期もいつになってもいい、という条件であった。
時計は製作を何度も中断された。無限の納期、報酬と引き換えに最高傑作を要求されたのであるから
その事情は察して余りある。何しろ、その時計は完成度時点で、その時代の最先端をいくものでなければ
ならない半面、その注文をうけた時計師自身がそれまでの時計を次々に革新していく張本人なのだから
ひとつ何かを発明するたびに、その機構は付け加えられなければならないのは必定である。
この、永遠に完成しない完璧さに向けて何度も設計をやり直しただろうブレゲの苦心はいかばかりか
その間に王妃はいくつものブレゲ時計を購入したが、この究極の時計はいつ完成するか未定だった。
注文した6年後 1793年、悲運の王妃マリー・アントワネットは断頭台で処刑される。

渡されるべき主を失った時計の製作は、長く中断されたものの放棄はされなかった。
求められた最高傑作への、ブレゲの意地だったろうか。工房に所属する優秀な職人の努力もあって
時計は次第に形を現してはいたが、アブラアン=ルイ・ブレゲも完成を見ることなく、1823年に没する。

時計の完成はブレゲの息子の時代、1827年のことである。記録によれば、この時計は次のような
機構と特徴を持つ。ミニッツリピーター、自動巻き、(バネと振り子式のオモリでゼンマイを巻くブレゲ
独自の方式)、永久カレンダー、均時差表示、パワーリザーブ表示、金属温度計、二重の耐衝撃機構

(「パラシュート」と呼ばれるブレゲ方式)独立した秒針とスモールセコンド。ケースはゴールド製、
ひげゼンマイにまでゴールドが使用され、軸受けなど磨耗の生じる場所にはすべてサファイア。

技術と豪華の極みのようなこの時計が、完成後にどうなったかについては曖昧な点が多い。
非常に精緻な販売台帳をつけていたブレゲ社にも、最初の購入者が記録されていないというのである。
本来の発注者が非業の死を遂げた時計は表舞台から一時姿を消すが、1950年に再びブレゲ社の
所有となる。その後二人の持ち主を経て、有名コレクター、デヴィット・サロモンズ卿の手に渡る。
卿の死後、「マリー・アントワネット」はエルサレムのL・A・メイヤー記念イスラム記念館に寄贈された。
その時計は1983年4月16日、美術館から盗み出され、今日に至っている。


「マリー・アントワネット」ブレゲNO.160

「腕時計 雑学ノート」(文字盤の裏側にあるのはムーブメントだけじゃない)
笠木 恵司  並木浩一 著 ダイヤモンド社発行より

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